ブッダの生涯を追いかけて Looking for a Life of the BUDDHA

ピプラーワー Piprahwa

ネパールから、また同じルートを通って、インド領に戻りました。正直、国境がごちゃごちゃしているので、ほっとしたという感じです。
ネパールの場合、陸路は、毛派がいろいろやっている可能性があるので、情報要注意です(といっても、スケジュールが決まった旅だと、困ってしまうだけなのですが)。
この日は、パルラームプル(力+神+街の意)という街に行って泊まるだけの予定だったのですが、ガイドさんにお願いして、インド側のカピラヴァスティ候補地に寄ってまらいました。

ピプラーワーは、ルンビニーからの距離は、ティラウラコットとそう変わらないのですが(33kmでちょと遠い)、インドとネパールの国境が、外れた場所にあるので、車で行くとずいぶん遠回りになります。もちろん、歩いてすぐ行ける距離でもないので、どうしようもないのですが。
1898年に、ウィリアム・ペッペにより、「サーキャ族のブッダ・釈尊の遺骨」と記された舎利容器が発見されたため、こちらがカピラヴァストゥであるとインド側が唱え、100年を越える大論争?になっています。
いまだ決め手(決定的な証拠)はありませんが、遺跡の姿からは、ティラウラコットの方が、それらしい印象は持ちました。
玄奘も、法顕も、カピラヴァストゥを訪れていますが、内容がかなり異なっており、一方は、ティラウラコットを、一方がピプラーワーを訪問したのではないかとの説もあります。つまり、当時既に、カプラヴァストゥの場所は、よくわからなくなっていたと考えられます。

Ganwaria。
ピプラーワーに向かう途中にあったガンワリア遺跡。
結構規模の大きい遺跡で、整備状況もよいです。
この建て物跡は、一般住居というよりは、宮殿か、神殿跡のような規模です。
大きなスペースの周りに、小さな部屋が設けられています。
この建物跡も巨大。
ガンワリア遺跡の先に、ピプラーワーがありました。
これが、遺跡の全体図ですが、まだまだ発掘は進んでいません。
ただ、城の跡というよりは、寺院跡といった感じです。
Eastern Monastery。
これは、東僧院跡です。
最大の仏塔。
ここから、ブッダの骨を納めたと思われる舎利容器が発掘されました。
公園のように、きれに整備されています。
ピプラーワーで発見された仏舎利容器。
ニューデリー国立博物館に展示されています。
『インド佛蹟巡禮』には、『1972年、ピプラハワで発掘されたソープストーン製舎利容器。並びに仏舎利と副葬品(紀元前4~5世紀)』と説明されていますが、今は、仏舎利と副葬品は、展示されていないようでした。特別金庫に保管されていて、特別申請をして許可を受けないと見られないようです。また、ここから発掘された大石館は、カルカッタのインド博物館に展示されているとあります。
仏塔と、僧院がつながるようにして発掘されています。
Southern Monastery。
南側の僧院跡。
Western Monastery。
西側の僧院跡。
沙羅の木が植樹されてました。
公園にはしっかりした壁が設けられ、案内標識もインドらしくなく綺麗です。
インド側の意気込みが感じられます。